教皇制のしくみ| ローマの天使 アレッサンドロ・モレスキ Alessandro Moreschi "L'angelo di Roma"

 
(5)教皇制のしくみ
1)聖職位階の概略
2)枢機卿について
3)コンクラーヴェ(教皇選出選挙)
 
「教皇は分かるけど、枢機卿って何? そもそもなんて読むの?」というような、かつての管理人のような読者向けの、大変初歩的なページです。
すごく簡単に、教皇を頂点とする聖職者の人事(「聖職位階」というらしい)をまとめてみました。
『ヴァチカンの謎と真実』(齋藤かおる 監修) を参考にしています。

1)聖職位階の概略

左の図は、カトリック教会のおおまかな聖職位階を示している。

 

頂点に立つ教皇は、「全世界に対して首位権を持つ」と第一ヴァチカン会議(1869〜70年)で確認された。

 

教皇に次ぐ地位にあるのが枢機卿(すうききょう)である。
時期教皇は枢機卿の中から選ばれる。
枢機卿たちによって構成されている枢機卿団は、教皇を補佐すると共に、教皇を選出する任務を負っている。

 

枢機卿の下には、総大司教、大司教、司教と続く。

 

大司教も司教もは教区長として司教区を管轄している。
司教区とは、一定地域にあるいくつもの教会をまとめるもの。
大司教が治めれば大司教区となる。

 

現在の日本は16の司教区に分かれており、そのうち大司教区が3つある。

 

司祭は、個々の教会(小教区)にいる教区司祭と、修道院内で共同生活をおこなう修道司祭にわけられる。

 

この図の位階に叙階された聖職者はすべて独身が求められる。


2)枢機卿とは

枢機卿を任命するのは教皇である。
枢機卿に任じられると、緋色の聖職者服と帽子を身に着けることを許される。
彼らは教皇を補佐して教皇庁の運営にたずさわり、教皇の名代や特使として活動する。
16世紀以降、枢機卿は70名以下という人数制限が設けられていた。
だが戦後になって、ヨハネ23世(在位1958〜63年)により制限が解除された。
教皇が亡くなったときは、次の教皇が選出されるまで、枢機卿団が教皇庁の運営を行う。
そして「コンクラーヴェ」と呼ばれる次期教皇選出システムにより、枢機卿団の中からすみやかに次期教皇を選出することになっている。


3)コンクラーヴェ(教皇選出選挙)

コンクラーヴェとは、ラテン語で「鍵のかかった(cumclavi)」という意味だ。
1268年、クレメンス4世逝去後、なかなか次期教皇が決まらず3年近く空位のままだったことに民衆が腹を立て、「新教皇を決定するまで出てくるな」と、枢機卿団を閉じ込めて鍵をかけたことに由来すると言われる。

 

コンクラーヴェは伝統的にシスティーナ礼拝堂でおこなわれている。
かつては枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に数日間閉じ込められていたが、現在ではサンタ・マルタ館に宿泊し、システィーナ礼拝堂に通う形がとられている。
それでも一人の候補者が全投票数の3分の2を獲得するまで数日間、日に数回の投票がおこなわれるのだから、枢機卿団にとっては「根比べ」な儀式である(日本語の「こんくらべ」の語源が「コンクラーヴェ」だという話は聞かないが。というわけでただのオヤジギャグ)。

 

コンクラーヴェの際には、システィーナ礼拝堂内に筆記机が並べられ、投票はミケランジェロの「最後の審判」の絵の前で行われる。
また、礼拝堂の屋根には煙突が設置され、投票のたびごとに煙があがる。
つまり新教皇が決定すれば白煙を上げ、未選出なら黒煙を上げる仕組みだ(この方法は分かりにくいので、現代では新教皇選出の際には白煙を上げるだけでなく、サン・ピエトロ大聖堂の鐘が鳴らされる)。

 

なお、2011年のイタリア・フランス合作『ローマ法王の休日』(原題「Habemus Papam」)はコンクラーヴェを描いたコメディ映画である。

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