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ローマの天使 アレッサンドロ・モレスキ

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(2)チェチリアニズムについて
  1)チェチリアニズムの由来と起こり
  2)主張の根拠はトレント公会議
  3)カストラート排斥との関わり

 

1)チェチリアニズムの由来と起こり

教会音楽における原理主義は「チェチリアニズム」と呼ばれている。
チェチリアニズムは19世紀初頭、ドイツのカトリック地域で起こった。

聖チェチーリア

チェチリアニズムという単語は、もちろん音楽の守護聖人チェチーリアから派生しているのだが、直接には15世紀イタリアのCongregazioni Ceciliani(コングレガツィオーニ・チェチリアーニ=この聖人のための宗教的な集会)に由来している。
18世紀にはこの集会にならって、ウィーン、ミュンヘン、パッサウ(ドイツとオーストリアの国境近くの町)などの都市で、グレゴリオ聖歌とパレストリーナの多声音楽を宗教音楽の理想として掲げ、熱心に支持する教会音楽家たちが、チェチリアン同盟として集まったのだ。
彼らは世俗的だという理由で、オルガン以外の楽器を礼拝に用いることを嫌った。
また表現豊かなテキストによる描写や、聴き手の感情を揺さぶる半音階の使用も、劇場的だという理由で避けた。
彼らはハイドンやモーツァルトの宗教曲も、それからベートーベンのミサ・ソレムニスやヘンデルの「主は言われた(Dixit Dominus)」やヴィヴァルディのグロリアまで、教会で演奏するレパートリーから外そうとした。

教会音楽は礼拝のために存在するもので、儀式から独立して芸術的な価値を追求する必要はないと考えていたからだ。

2)主張の根拠はトレント公会議

この思想の根拠は、1545年から1563年まで続いたトレント公会議にある。

 

当時、プロテスタントの改革勢力が北ヨーロッパを席巻しており、カトリック側はこれに対抗するために教義を再確認し、基礎をかためる必要があった。
また教会内部の堕落を是正し、徹底した自己改革を行う中で、教会音楽に関しても見直しが図られた(「宗教音楽の歴史」のページを参照)。
理屈の上では、教会音楽は19世紀になってもトレント公会議で定められたルールに従うべきなのだが、実際は公会議後の3世紀の間に大きく変化していた。
とはいえ、教会音楽改革の目的としてプロテスタントが脅威であったのは数百年前の話で、19世紀初頭にチェチリアニズムが勃興したのは、産業化初期段階の社会によくあるノスタルジー精神によるものだったといえる。
チェチリアニストたちが、教会音楽からほとんどの楽器を取り除く根拠として引用したのが、1749年に教皇ベネディクトゥス14世(1675-1758 在位1740-1758)によって発布されたAnnus qui huncであった。
17世紀の間、アレクサンデル7世(1599-1667 在位1655-1667)やインノケンティウス11世(1611-1689 在位1676-1689)が、次第に公会議のルールから離れてゆく教会音楽を引き締めようとした。
そしてベネディクトゥス14世は、教会儀式に関わるものほぼ全てを浄化しようと試みた教皇だ。
彼は過剰なトリルを差しはさんで音楽を引き伸ばし、ミサの進行を遅らせる歌手たちを好まなかった。
Annus qui huncにおいては、ファゴットとヴァイオリンは教会で演奏することを許可されたが、打楽器、トランペット、マンドリン、ハープは「劇場的すぎる」という理由で禁止された。
この勅書が厳守され続けていたら、ハイドンもモーツァルトもその他大勢の作曲家もミサ曲を書かなかっただろう。

3)カストラート排斥との関わり

20世紀初頭になると、システィーナ礼拝堂聖歌隊内部でも発達してきたチェチリアニストたちの勢力が教皇を動かし、motu proprio(モトゥ・プロプリオ、『教皇任意教令』)の発布により、教皇聖歌隊でもカストラートを雇用しないこととなる。
この項では、グレゴリオ聖歌と多声音楽を理想とするチェチリアニズムが、カストラート排斥を支持する思想の流れについて考えてみる。
トレント公会議の時期には、まだカストラートの問題は顕在化していない。
というのも、ソプラノパートを歌う男性歌手が正式にカストラートと認められて雇われたのは、1599年、教皇聖歌隊にピエトロ・フォリニャーティとジローラモ・ロジーニが加わったのが最初の記録だからだ。
それまで教皇聖歌隊のソプラノパートは、スペイン人歌手が独占していた。
彼らが特殊なテクニックを身につけたファルセッティストだったのか、カストラートだったのかは、文献によっていくつかの推論があり一致していない。
だがトレント公会議で禁止が明文化されていないといっても、教会音楽に高度な芸術性を求めず、耳を楽しませるためだけの音楽を礼拝に用いるべきではないとする、公会議が規定した教会音楽の精神性と、美しい音楽を聴きたいという欲望が生み出したカストラートの存在は相容れない。
チェチリアニズムにおけるカストラート排斥の論拠は、フランス革命以後の近代人権思想より、近世初期の教会の決定に求められている点が興味深い。
21世紀の視点から見れば、1600年頃から1900年頃まで300年以上音楽史に登場し続けるカストラートの存在は、宗教音楽とオペラの両面において、イタリアの音楽の重要な伝統を担っていると思えるが、チェチリアニストたちは教会音楽を、もっと昔の「あるべき姿」に戻そうとしたのだ。

 

日本史に例えるならば、明治維新の志士たちが徳川幕藩体制を批判して、天皇中心の国づくりに戻そうとしたようなところか。
何が由緒正しい伝統かなんて、分からないものである。


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