ローマの天使 アレッサンドロ・モレスキ

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モレスキが1902年と1904年に録音した曲のうち、彼のソロ・レコーディング(合唱や重唱を含まず、彼が一人で歌っている曲)をアルファベット順に解説した。
なお、バックに合唱が加わるものや、ほかのソリストたちとの重唱曲においても、モレスキの声ははっきりと聴き取ることができ楽しめる。そうした曲の解説は「ソリストと合唱」ページに記載した。

Ave Maria

J.S.Bach/Charles Gounod作曲
(独唱曲、ピアノとバイオリンによる伴奏。1904年録音)

 

現在残されているモレスキのレコードのうち、もっとも有名な曲だろう。

 

1722年にバッハが作曲した《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調」 に、グノーが歌の旋律を書き、1959年に発表したもの。

 

音域はハイCの半音下のB?(ドイツ音名=H)まで上がっており、彼が録音した最高音が現れる。
Domine Salvum Fac Pontificem Nostrum LeonemのB♭はフォルテで力強く歌われているのに対し、こちらは音量を押さえ、澄んだ美しい音色を聴かせる。

『小荘厳ミサ曲』よりCrucifixus

Gioacchino Rossini作曲
1902年録音のものはピアノ伴奏、
1902年録音のものはピアノとハルモニウムによる伴奏。

 

ロッシーニ晩年の傑作のひとつである、『小荘厳ミサ曲』からのソプラノ独唱曲。
通常文「クレド」からの一部分で、華やかな合唱にはさまれた静謐な独唱部分。

 

1902年のレコーディングにおいて最初に録音された曲が、この曲だという。
モレスキにとって人生初の録音となるわけで、曲頭では声に緊張が現れている。
ただ1分ほど経った頃にはずいぶん落ち着いてきて、本来の表現豊かなところを見せてくれる。
しかし曲の最後では、早くレコーディングを終わらせてしまいたかったのか、一歩早くコーダに移りそうになっている。
現代なら、当然録音しなおされただろうが、1902年当時は原盤が大変高価だったため、テイクを重ねることはできなかった。
1904年に再度録音されたのは、2年前の録音の出来に納得できなかったモレスキ自身が希望したためと言われている。

 

テキストはイエスが十字架に架けられ、受難を受け、葬られるシーン。
1904年のほうがよりその悲痛な雰囲気が伝わってくるような気がする。

Hostias et Preces

Eugenio Terziani作曲
(独唱曲、ピアノとハルモニウムによる伴奏。1904年録音)

 

Eugenio Terziani(1824-1889)はジュゼッペ・バイーニの弟子。

 

テキストはミサ固有文の奉献唱(オフェルトリウムOffertrium)。
捧げ物を祭壇に供える奉納の儀で歌われる。

 

このレコードは、発売当時、モレスキのレコードの中でもっとも人気の高いものだった。
確かに、静かに歌う彼の声はなめらかで美しく、声区の転換もまったく気にならない。

 

この曲とPie Jesuはロマン派歌曲らしい旋律の曲だ。
ニコラス・クラプトン氏は、サロン音楽、もしくはオペラのような、世俗的な表現が似つかわしい、こういった曲のほうをモレスキが得意としたのではないかと憶測している。
だがテキストは勿論敬虔なものである。

Ideale

Francesco Paolo Tosti作曲
(独唱曲、ピアノ伴奏、1902年録音)

 

これは唯一、7インチレコードでリリースされた。

 

「理想の人」という邦題で日本でも親しまれているトスティ(1846-1916)の歌曲。
トスティはサロン音楽の作曲家として、当時もたいへん人気があり、イギリスに渡って成功している。

 

若い頃、ローマのサロンで夜ごと上流階級の人々の耳を喜ばせたモレスキは、宗教音楽ばかりでなく、世俗曲の表現にも長けていたと思われる。
宗教曲にはない一種の艶っぽさがある。
可憐なピアノ伴奏に乗って、手の届かない憧れの人への想いを歌う彼の声は美しくも切ない。

 

その場にいたほかの聖歌隊員たちが、曲が終わるか終わらないかのうちに「Bravo!」と声をあげ、拍手を送っている。
当時モレスキは指揮もつとめ、聖歌隊の中で指導的な立場にあったが、聖歌隊員たちのにぎやかな喝采を聴くと、彼は親しみやすい人物だったのかもしれない。
ざわめきの最後のほうに、かすかに「Grazie(ありがとう)」という声が聴こえる。
これは、メンバーの称賛にモレスキが答えた声ではないかと、web上で指摘されていた。
また音量を上げると、曲が始まる前に誰か(録音技師?)が合図を送り、そのあとで曲タイトルを言っているような声が聴こえる。

Incipit Lamentatio

グレゴリオ聖歌
(無伴奏、1904年録音)

 

テキストは「エレミアの哀歌」として知られる旧約聖書の詩句。
不信心のために神の罰を受け、エルサレムがバビロニアに攻撃された苦痛を描いている。
預言者エレミアの作ということになっていたが、現在では否定されている。

 

この曲は、復活祭の前「聖週間」の朝課において歌われる。
朝課とは夜明け前に行われる儀式。
聖週間の朝課においては、イエスが息をひきとり、地上が絶望に包まれた様子をあらわすため、ローソクが消されてゆく。
そのためこの儀式は暗闇を意味する「テネブレ」の名で呼ばれる。
この重要で厳粛な儀式においてソロを歌い出すことは、第一ソプラノとしての輝かしい勤めであった。
モレスキは長年歌ってきたメディチ家版のスコアを用いている。
この版はパレストリーナの時代よりさらにさかのぼる伝統的なスコアだったが、1903年に発布された「モトゥ・プロプリオ」では採用されなかった。
こうした事情のために、このレコードはローマ・カトリックの影響が強い地域では発表されず、ロシアと東欧のみでリリースされた。

Pie Jesu

Ignace Xavier Joseph Leybach作曲
(独唱曲、ピアノとハルモニウムによる伴奏。1904年録音)

 

CDの解説書では、LeybachではなくLeibachと綴られている。
Ignace Xavier Joseph Leybach(1817-1891)は、ストラスブール(フランス北東部の港町) 出身のピアニストでオルガン奏者。
テキストはレクイエムの続唱(セクエンツィアSequentia)の「涙の日(Lacrimosa)」に含まれる一部分。

 

この曲は1963年、ケネディ大統領の葬儀ミサにおいて、テノール歌手ルイジ・ヴェーナによって歌われた。

Preghiera

Francesco Paolo Tosti作曲
(独唱曲、ピアノ伴奏。1904年録音)

 

こちらもトスティの歌曲。ただしトスティにしては珍しく宗教的な歌詞である。

 

前奏、間奏、後奏が省略されているのは、当時のレコードの録音時間が短かったためだと考えられる。
原盤番号は2185hで、2182hのCrucifixusから12分以上続けて録音されている。
「Signor,pieta(主よ、憐れみください)」と歌う最後の部分で、高いGへのスライドの途中、ピアニッシモにしすぎたために一瞬音が途切れるのは、休み無く歌い続けていたからと憶測されている。


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